終の棲家

人はいつ終の棲家を見つけるのだろうか。


ここ数年、自分で店を持つ、という夢を胸のうちに掲げて、いや胸のうちどころか周囲の人に喧伝しまくって生きてきたのだけれど、
とある出来事をきっかけにその夢が少し揺らいでしまった。


そしてそれと同時に、名古屋という街を出る選択肢を考え始めている。
で、考え始めた途端に勢い余って世田谷区の物件の内見予約をしそうになったりしているのだけれど、
その計画の障壁となるのが、今の家を愛しすぎているということである。


築40何年か、ログハウス調のエントランスにブドウ棚が架かる4階建ての4階角部屋、南と東の二面採光、DIY好きの大家さんが設えた手作り感溢れるトイレと出窓がかわいい。

お風呂は傷んだタイルと剝がれかけの白いペンキ、体操座りしないと浸かれないガタつく小さな湯舟でお世辞にもいいとは言えないけれど、朝にシャワーを浴びると東側の突き出し窓から朝日が差してきて気分がいい。

天井には木目のシーリングファン、小さなキッチンにはホーロー製の一口コンロと小さな小さな冷蔵庫、プレイヤーを上に置けるサイズで設計して自作したレコード棚、寝転ぶとちょうど出窓から見える空が視界いっぱいに広がる場所に配置したベッド。

小さな部屋で少しの荷物だけ持って暮らす今の生活を心底気に入っている。


…のだけれど、この家が終の棲家になることは絶対にないとも思う。
でもいつかこの部屋を出たとき、次に誰かがこの部屋に住むことを考えただけで嫉妬に狂いそうになる。

なんかあれだな、恋人としては好きだけど結婚は考えられない、みたいな。
自分から振ったくせに昔の恋人が他の人と仲良くしていると楽しくない、みたいな。
自分はいつもそんな感じかもしれない。


多分、モノへの執着心が強いほうだと思う。
わりと捨てられないたちであるし、失くしたときは1か月は落ち込む。
なんなら2、3年前に失くした服や扇子を今も夢に見る。

トイストーリーシリーズを観て情操が育ったので、捨てられた・忘れられたモノに対してすぐに感情移入してしまう。

だからこそなるべく物を持たないようにしているし、モノを選ぶときは長く使えるか、引っ越すときに連れて行けるか、を基準としている、つもりだ。


ただそこで困るのが、引っ越すときに部屋そのものは連れて行けないという至極当たり前のことである。

そうなったときに想いを馳せるのが終の棲家だ。
部屋との別れを経験したくないから、早く終の棲家が欲しい。
ここに骨を埋めるぞ、この部屋で死ぬぞ、という覚悟を早くしたい。
終の棲家が決まったら、少しだけ大きな家具を買って、猫を迎え入れて暮らしたい。


などと考えながら、今日は火災保険の更新をした。
保険料もったいないから、あと2年は今の家です。